あってはならない感情なんて、この世にないんだから
本日やっと読んだ積読本の『正欲』📚
読んだ後の自分には戻れないってキャッチコピーで
気になって買ったものの、ずっと本棚に積み上げられてた。
自分にエネルギーがあるとすいすい読めるんだな~。
今まで仕事でめちゃくちゃ疲れてたのもあったのか、読まなきゃ読まなきゃと思って
手元に置いては読もうと試みたものの、なぜか拒否反応があり
本を開けず・・・の繰り返しだったけど、
読みたい。と思ったらすんなり読めた。
最初の事件がどう絡んでいくんだろう、と本をめくるページが止まらない。
描かれた登場人物人達を取り巻く人達に思いに自分を重ねる。
読んでて怖いなと思ったのは、その取り巻く人たちに自分もなったことがあるからだ。
なったというか、そんな思考や言動を持ったり言ったりしたことがあること。
昔の自分を本で客観的に見させられてるような錯覚に陥る感じ。
う~わ~、私も以前はそんな風な行為をしていたな・・・と。
自分の想像力のなさや思考不足、自分が良かれと思ってしていたことが
相手にとっては迷惑だったということ。
それをこの本で改めて気づかせられてる感じ。
本当視野が狭くて嫌になる。
いろいろ漫画とか本読んだりしてきたけど、知らないことってたくさんたくさん
この世の中にあって、自分の想像力の上をいくものがあるんだなと思わされた。
本読み終わった後は
「多様性」という言葉を安易に使用できないなと思った。
できないないといか、使いそうになって、ふと「多様性」とは・・・?
一旦頭で考えそう。
【自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になる】
【自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉】
本当に自分が想像しえることだけ「多様性」に当てはめていたと思う。
マジでやばい奴も含まれるんだよね・・・。
そう思うと、ダイバーシティとは多様性を掲げている企業って
どういう風な経営してるんだろうな。
不機嫌ハラスメントもパワーハラスメントもその人の個性であって
「多様性」に入るんかな?
いや、それとこれとは違うって線引きするよね。
企業で使用する言葉の定義がそもそも違うのかもしれない。
都合のいいような解釈がそこには入っていたりするのかもな。
読んでいて、心理描写や違和感の言語化の解像度がすごくて
のめりこんでしまった。
辻村深月の「傲慢と善良」を読んだ時も思ったけど、
思考力とか、「なぜ」の追求や周りの観察力など日ごろからアンテナ張って
考えて自分と向き合っているんだろうな。